フランシス・ベーコン展に行きました

豊田市美術館フランシス・ベーコン展に行ってきました。

ベーコンの作品は以前美術館で観たことがあったし、今回は予備知識がありました。
①歪んだ絵画を描いている
②絵画にはガラスのついた額縁がつけられている
③同性愛者である
の三つでした。

展覧会に行く前に調べて
④彼は近代の画家では最高クラスでありピカソに匹敵する
ということもわかりました。


作品はめちゃくちゃうまかったです。油絵具をとても自由に操ってる印象を受けました。マチエールが気持ち良かった。
ベーコンの作品はサイズの大きいものが多かったのですが、非常に少ない要素でその画面を構成していました。これだけの要素で画面を充実させることができる力はほんとうにすごいと思う。絵の具のつきも良い感じでした。

ベーコンの展覧会をみたものの、なぜこういう表現に至ったのかはわからなかった。図録買えばわかったのかな。
ストーリー性を持たせないとか、ガラスをはめることで対象を遠ざけたい、反射しないガラスがあればいいとかそういう解説とかベーコンの言葉とかは絵の側に貼られてたんだけど、なぜベーコンの絵画は歪んでいるのかと書かれてるものが見つかりませんでした。
上の話大事だけど表現に至った理由も大事だと思うんだけどな。
ベーコンのアトリエの写真があったんだけど散らかってて汚かった。どこで絵描くの、ってくらい。作家のアトリエは汚くても整理整頓されているイメージだったんだけどいろんなひとがいるんだね。

作品数が多くてその点は満足でした。お腹いっぱい。



一枚、裸婦があったんだけど、異性愛者の裸婦と比べるととげとげしかった。興味ないのだな。男性器は非常に丁寧でした。まあ、これは事前に同性愛者って知ってたからフィルターかかっちゃってる部分が大きいと思うけど。おわり

インターネットについて

最近、友人と話しててお互い驚いていたこと。それは先日の参議院選挙で自民党圧勝だったこと。

わたしは四年ほどテレビのない生活をしている。最初の一年はパソコンもなかったので携帯でのネットとラジオが情報源だった。今はネットと新聞が情報源です。新聞は斜め読みですが。
さてわたしはツイッター大好きでして、ニュースもツイッターで知ることが多いです。選挙前、わたしのタイムラインでは、ほぼ全員が自民が勝つとまずい、自民党が勝つと憲法が変わって原発が続いてしまうそれでいいのか⁉的なつぶやきがほとんどだった。自民党を支持する声は一切なかったのです。
だから選挙速報を聞いたときはめちゃくちゃ驚きました。え、みんな自民党好きなの?誰が支持してるの?って。

その時、ネットの世界はこんなにも狭いのだなと実感したのです。わたしの生活はネットがすべてで依存していたのですが、世の中のすべてがここにあるわけではないとようやく気づけたのです。
ネットは求めれば与えられるけれど、テレビのように無差別に延々と与えられるものではない。だからわたしが知らないだけでネットで自民党を支持するひとはたくさんいたのかもしれない。
わたしはネットは便利で大好きだけど、自分の個人情報は絶対に流したくない人間です。アカウント作ったり会員登録したりにとても抵抗感がある(でも使う)(登録せずに使えるのが1番だけど)。それはネットがすべてだからだったんですよね。ネットに一度上がったり流失したものは消しても消してもネットにあらわれるっていうのがすごくこわいのです。だから自ら進んでネットに特定されるような個人情報やを堂々と公開する人の気持ちがずっとわからなかったのですが、今回の出来事で少しわかったような気がします。自分だと特定されるわけないと思っている。ネットって思っているより少ない人口なんだなって思いました。
友人がどういった媒体から情報を得ているのかわからないのですが、わたし以外にもそう感じたひとがいるということはやはりネットの世界の人口は少ないのでは?もしくはわたしたちはネットがすべてだと思い込んでいるのではないか。

いろんな媒体から情報を得るのが大切ですね。



ちなみに、こんなこと書いてるけどわたしは一度も選挙行ったことないです。おわり。


LOVE展に行ったよ

森美術館のLOVE展に行ってきました。
フライヤーの金色のハートのラッピグの作品を観てみたかったのです。

恋人と行くとより楽しい(だろうなと思われる)企画展でした。
マイクに向って言った言葉から解析?してやくしまるえつ子の声で歌ってもらえる装置がありました。装置を見るまではボカロが歌ってるのかと思ってた。マイクが一音ごとに動くのがまるで歌っている何か新しい生き物のようでした。
かがくのちからってすげーとしばしそこにいてしまいました。
響く声だったので他の展示を観ていてもやくしまるえつ子の声が聞こえて来て、それがとても心地よかった。

草間弥生の作品よかった。よかったけどなんか不安になったよ。
草間さんのところ写真撮れて、私もばしばし撮ったんだけどなんか、なんか草間さんはこれ本人が写真オッケーしたのかな?とか思ってしまったよ。、、
草間さんおとなにいいようにされてるんじゃないかとかなんだか思ってしまった。あそこは写真撮れないほうがよいのでは…せっかくの視覚も聴覚も草間弥生一色になれるというのに…
しかし写真に撮るとますます幻想的ですね。





森美術館は無料で音声ガイド貸してもらえるし、解説のパネルもたくさんあるのでわかりやすくて好きです。

アンドレアス・グルスキー展に行きました

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国立新美術館アンドレアス・グルスキー展に行ってきました。ほんとうは貴婦人と一角獣を観に行ったんだけど、混んでたし、大阪にも来るらしいのでやめた。あとこのポスターの写真がとても魅力的だったからっていうのもある。



空いてるかなーと思ったらわりと混んでました。写真に近づきすぎると警告音?アラーム?がピーピーなる展覧会でした。いろんなとこでピーピーゆってた。わたしも鳴らした。

さて、わたしは作者を全く存じなかったので彼がどういった写真を作ってるのかわからず、どこを観ればよいのかわからなかったよ。音声ガイド、ケチるんじゃなかった。
わたし、写真の作品はずるいとずっと思ってました。だって撮ってちょちょいと加工するだけじゃん!楽チンだな写真は。と思ってました。しかし彼の作品は絵画を描くようにイメージを写真で撮ってアトリエに持ち帰って加工を重ね、作品にするらしくて絵画を写真でやってる!ってぽいです。
実際、作品は写真のような絵画のような写真でした。すごい不思議なマチエールというか。どこまでがほんとうの写真でどこからが加工なのか。現実とイメージの間がわかんなくて不思議でした。
『グリーリー』という牛がいっぱいいるのが加工わかりやすくて自分なりに作者は何をしたかったのか考えやすかったです。
一見して何を表現しているのかわかる作品ではなかったからか、お客さんがスーッとキャプションに吸い寄られてておもしろかった。もちろんわたしも。作品を観てタイトルを見て作品を観る。タイトルって作品を読み解く上で重要なんだね。写しているものと表現されていることは違ったりするんだね。
写真って印刷物だし、編集はパソコンでしてるわけだから図録やネットで観ても一緒だと思ってた自分を恥じた。ああこれはこのサイズで観なきゃ意味ないなと思いました。

結論としてわたしには難しい展覧会だったよ。あああたまよくなりたい。