これからの写真 をみにいきました

愛知県美術館で、これからの写真 光源はいくつもある をみてきました。

私は写真と建築の展示がどうにもだめで、いつも見終わったとき胸糞悪い気分でいっぱいになります。それは、私が理解できないことに対する憤りだったり、そんなのずるい!って嫉妬だったりなんだけど。
写真はいまデジカメも安価で手に入るし、スマホでもきれいな写真が楽にとれて、さらに簡単な編集も可能です。作品わ見たとき、これなら私にもできるじゃん〜とおこがましく思ってしまうのです。

しかし、この企画展はめちゃくちゃ面白くて、気分良く見れました。
写真を初めて作品だなーと思えました。
銀板の写真の作品は写真なんだけど、写真じゃなくて一つの工芸作品のようだなあと思いました。写真の見せ方もいろいろあるんだなあと改めて思いました。スポンジの作品もキュートでかわいらしく素敵でした。

一番笑ってしまったのは、裸の作品です。作品自体はおもしろくて私は好きです。被写体の方達の関係性とか表情とか、推測しては一人楽しく鑑賞しました。笑ってしまったのは作品の内容ではありません。作品に男性の性器が写っており猥褻物だと匿名の電話が警察にあったとかで、トレーシングペーパーのような、にごった紙をいくつかの作品の上に重ねてありました。
一番大きな作品は、下半身だけにゆるやかにトレーシングペーパーがカーテンのように広げて貼られていました。
それが、昔の黒田清輝の絵画のエピソードとそっくりでおもしろかったのです。
それは黒田清輝が日本で、展覧会かなんかで、女性のヌードの絵画を発表したところ、えろい!けしからん!!となり、下半身に布を巻きつけたそうです。しかし、見に来たお客さんが、布の下を見たくって杖でめくる事件がおこる、というものです。
そのときの布の巻き方のイラストとそっくりだったので思わず笑ってしまいました。
でも、同じ部屋に女性のヌードもあって、下半身の割れ目が見えてるものがあり、それがオッケーならちんこもオッケーじゃね?と思いました。ちんこは生々しいからだめなのか?別にいいじゃねーかと思いましたが、日本はまだ文明開化してないんだなあ、早く文明開化してほしいなあと思いました。おわり。

あいちトリエンナーレにいってきました

あいちトリエンナーレを見てきました。
全部は見れてないけどとりあえず市美、県美、長者町の半分くらいをまわりました。

いい作品もあるけど、うーん?って作品もあり、どちらかといえばうーん?が多い気がしました。
前回のトリエンナーレも行ったのですが今回の長者町は作品がとても減った印象を受けました。岡崎の会場が増えたからしょうがないのかな。岡崎も今月中に行くので楽しみです。

今回、揺れる大地という副題もあってか震災関係の作品も見られました。私は震災で目に見える形では影響を受けていません。その後今も変わらない生活をしているので、あまり震災の作品には思いいれがもてません。震災を直接的に表現することの意味もよくわかりません。ホットワードだから震災関連の作品は受けが良いのかなあ。
アートって難しいです。震災を風化させないためにアートにするのでしょうか。震災直後は震災を連想させるような表現が自粛されていましたが、今度は風化させないためにあえて震災関係の表現を用いる。二年前なのにもう風化されてしまうのでしょうか。私のような震災は他人事と思っている人間に考えさせるためにそういう作品を作っているのでしょうか。

風立ちぬを先日見たのですが、そこで描かれていた関東大震災の方が震災について考えさせられましたし、ああいった表現をしても批判されないことが震災に対して復興しているんだなと思いました。


キョートにいってきた

先日京都に行って来ました。

最近ついてないことが多いらしい友人と、最近どうもしんどい私との二人で仏像からパワーをもらうことが目的でした。

三十三間堂は圧巻でした。もうお腹いっぱいです。千体いらっしゃる千手観音さまのどれか、自分に似ているのがあるとか、会いたい人の顔に似ているのがあるとか、なんかいろいろあるらしいですが、それほどみんな顔が違ってました。全員の顔だけアップの写真集とかないのかしら。

次に東寺へ。帝釈天の美しいことこのうえない。そして白象の造形の素晴らしさといったら言葉もでない。絵のようななめらかさ、たまらないです。彫刻なのに絵のように流暢なライン。すばらしい。
翌日音楽のライブがあったようでリハーサルをしていました。金堂から眺めました。クイーンを聞きながら仏像を見る。いいですね、寺フェス。

と、友人と楽しく京都を散策しました。
そうそう、友人とおみくじをひいたのですが二人とも凶でした。凶のおみくじってほんとうにあるんですね。二人とも人生初の凶…友人は体調に、私は人間関係に注意とのことでした。これはパワーストンを買いに行くしかないのかしら。。イオンに行かなきゃだわ。

ほかにもいろいろまわったのですが、九月の京都はめちゃくちゃ暑かった。ひさびさにしょっぱくなるまで汗をかきました。夜中脱水で目が覚めた。盆地はすごいですね…

東京タワーにいってきたよ

東京タワーで藤子・F・不二雄展を観てきた。
私はドラえもんで育ったのでたくさんのドラえもんに会えて本当に嬉しかったし楽しかった。ほんと夢のような空間だった。

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↑数あるなかで私が1番好きなドラえもん

キャラになりきりで写真が撮れます。一人で行く展示じゃなかった…
もちろんドラえもん以外のパーマンやSF短編集の生原稿などもあります。
そしてまんが道に登場した全て手描きのあの同人誌もありました!興奮!


わたしはここで初めてプロジェクトマッピングを見たのでとても感動しました。
サンポート高松でもプロジェクトマッピングの展示があったんですが最近の流行りなんですかね?遊園地のアトラクションみたいで増えたら楽しそうです。

最後に芸能界や漫画界などさまざまな分野の人が色紙を寄せていたのですが、やなせたかし水木しげるがおもしろかっかです。東京都現代美術館でやってるマンガのちから展をみたせいかもしれませんが…





アートがあればⅡにいってきました

東京オペラシティのアートギャラリー、アートがあればⅡにいってきました。


おもしろい展示でした。オペラシティでの展示で私はハズレ引いたことない。ほんとここはおもしろい展示が多い。若手作家の紹介もおもしろい。


何人かの個人コレクターの人が自分のコレクションを展示していました。最近絵を売る、ということについてよく考えるのもあっておもしろかった。
コレクターごとに、一部屋ずつだったりある程度まとめて展示していました。私がコレクターだったらこの展示ってすごくたまらないだろうと思う。だって自分が選んだ好きな物だけで部屋を飾って、それをいろんな人が観にきてくれる。作品を買うくらいの財政がある人達だし、普段からそんな感じかもしれない。でも美術館はほんとうにいろんな人が来てくれるから、やっぱりたまらんよなーって思う。

こんなにいいものを作る人がたくさん世の中にいるんだなって知った。ギャラリーもこれからまわってみようかなあ。一人一作品だったからもっとみたいと思った人が私の好きなタイプの作家もしくは作家なんだと気づけた。
私もこれほしーとか、なぜこのひとはこれをコレクションにいれたのとか、自分の美の基準を考えるいい機会になったし、いい作品=コレクションされる作品って単純な図式じゃないと思った。


作品の保管方法も人それぞれで興味深い。飾る人、保管する人。作品の幸せとは何だろうか。作品は飾ってなんぼ?作品はきちんと保管して後世に伝えるべき??作品は単なる投資???

作品は買われた時点で買った側のものだからどうなろうとも文句言えない。それならば売らずに手元に置いておくほうが作品は幸せ?
作家にとって作品って自分の分身のようなものだと思う。それがどう扱われるのが幸せなのだろう。
美術館にもらわれてったら管理はしっかりしてくれるだろうけど、常に美術館で飾ってもらえるかってなるとわかんないし、、難しいね。

個人的にはめっちゃおもしろい展覧会でした。若手作家さんの絵もよかった。展覧会図録とかポストカード売って欲しかった。おわり

直島いってきました

直島に行ってきました。
瀬戸内国際芸術祭を観に行くためです。

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暑かった。めちゃくちゃ暑かった。あと待ち時間に笑った。アトラクションの待ち時間なのか。始発のフェリーに乗ったのに、バスに乗れなかったら地中美術館のチケット買うだけで一時間待ちになった。走ってバスに向う人々に呆気にとられた。
地中美術館李禹煥美術館、家プロジェクト(南寺除く)、ANDO MUSEUMを観た。家プロジェクト、瀬戸芸って感じがむんむんしてた。

観たものが良いとか悪いとか、そういうのは置いといて、なぜこんな不便で暑くてしゃーないとこにこれほどまでに多くの人が訪れるのか不思議でならない。
バスは本数少ないし、バスに乗らなくても歩ける距離(港から展示まで30〜40分くらい)だけどめちゃくちゃ暑いし坂道だし。そもそもフェリーもめっちゃ微妙な時間で本数も少ない。高速船だとフェリーの倍の値段する(その割に速くない)。そして朝、フェリーが直島に着いたとき、放送で『大変混雑しておりますので、積み残しになる可能性がございます。早めに帰りの行動をしてください』って言ってた。積み残しになっても、島に宿泊施設あんまりないし、あってもこの時期いっぱいだろうし、積み残しになった人はどうするんだろう。
なんでみんなこんな不便なとこにわざわざ来るのか。何時間も待てるのか。不思議だ。
私はアートにそんな力はないと思うんだけどな。わからん。島の魅力?それなら過疎ってるわけないし。ほんと謎だ。




自分を強くみせたいの?

ツイッターであげちゃいけないものをあげて炎上になっているの、多いですよね。炎上しちゃってるに模倣犯も出てまたその模倣犯も炎上しちゃってる。

わたしはそういうことする人の気持ちがよくわからない。いや、わからないこともないけど、せめて仲間内でラインに流して騒ぐくらいにすればいいのにって思ってしまう。してはいけないことだけど悪ふざけでやってしまうにしてもなぜそれを多くのひとの目につき、個人の特定できるものをネットにあげるのか。


という話を先日、話していました。私は現代における(ヤンキー的な)武勇伝だと思ってました。こんなことやったんだぜ、すごいだろっていう。それを受けて、おもしろい意見を聞きました。
これは現代の若者の表現の一つだ、というものです。これは一種のパフォーマンスである。個人情報を出している場合は自分の人生をかけたパフォーマンスだと。
そうだとしたらとってもクールであるけれど、公共の福祉に反する芸術は芸術ではなく犯罪行為なのでは?と思いました。自己表現するならみんなが楽しく幸せになれるもののほうが健全?それがクールかはわからないけど。と結局煮えきらないまま解散いたしました。おわり。